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Sustainable Fashion1 | ファッション業界の流れと現状

あなたにとって、服とは何ですか?―そう訊かれたら、あなたはどう答えますか?

私たちの生活の三大要素である「衣食住」の最初は「衣」で始まっています。地球上の生物で、衣服を必要としているのは人間だけ。一部の民族を除いてほとんどの人間は、当たり前のように衣服を身にまとって生活しています。衣服は、人間が生きていく上で欠かせないものなのです。

衣服の始まりというと、映画や漫画で見るような、毛皮をまとった原始人が思い浮かびます。あるいは、旧約聖書に記された「アダムとイブ」の物語で、二人がいちじくの葉で身体を隠そうとする場面を想像する人もいるでしょう。そのころと現代の服装は、ずいぶんとかけ離れたもののように感じられます。

「着る」ことは、時代によってさまざまな意味を持ち、人々の暮らしとともに変化してきました。なぜ衣服を着るのか。なぜ衣服は私たちの生活に不可欠なものになったのか。衣服の歴史からひもとくとともに、ファッション産業の成り立ちと現状を概観していきます。

古代の衣服


最古の服飾類として見つかっているのは、樹皮繊維を原料にした約8000年前のサンダルや、約5300年前のミイラが身につけていた獣皮と干し草の編み靴、毛皮の上着、約5000年前のシャツやビーズ付きドレスなど。古代の衣服は、自然環境に適応するためのものでした。

衣服の形は、主に毛皮や革などを編んだ巻衣(ドレーパリー)型や、一枚の布に頭を通す穴を開け、両脇を縫い合わせた貫頭衣(ポンチョ)型の、着脱しやすい簡易なもの。日本でも3世紀後半の『魏志倭人伝』に貫頭衣の記述が残されています。当時の衣服は、寒さや強い日差しから身体を保護する役割を果たしていたと考えられ、古代の人々は服装に実用性以上の関心を払うことはありませんでした。

中世ヨーロッパの衣服

こうした「守る」ものとしての衣服が、身分を象徴するものとして用いられるようになったのは、中世になってからのこと。中世初期のヨーロッパでは、ピラミッド型の階級によって服装が分かれ、チュニックやマントの形状が違ったり、着用できる色が変わったりしました。

9世紀、西ヨーロッパをほぼ統一したカール大帝は、身分ごとに衣服を規定する「衣服条例」を交付。衣服は出自や社会階層を視覚化する「記号」としての意味を持ち始めました。時代は少しさかのぼりますが、603年に聖徳太子が制定した「冠位十二階」も、冠の色=身につけるものによって階級を示したという点では、同じことがいえます。

中世ヨーロッパでは商業が飛躍的に発展し、使われる素材も多岐にわたっていきました。衣服のつくりは次第に複雑化して、前開き型や身体に沿ったものに変化。織物産業が発展した13世紀以降は、貴族や富裕層を中心に毛皮がファッションに取り入れられるなど、流行も生まれ始めました。

近世ヨーロッパの衣服


近世になると、よりファッション性が重視されるようになり、衣服は人間の自然な身体からかけ離れたものになっていきます。近世ヨーロッパが舞台の映画で、貴族の女性が侍女にコルセットを締めてもらうシーンを観たことはありませんか? 16世紀頃に登場したコルセットは、ほっそりしたボディラインで気品や優雅さをあらわすために生まれたもの。この拷問具のようなアイテムは、その後3世紀にわたって女性の体をきつく締め付けることになります。

また、男性の服装も上半身のボリュームと下半身のタイトさを強調する傾向がいっそう強まるなど、衣服はしだいに奇怪ともいえる誇張によって“包み隠す”ものに変わりました。貴族にとって、着飾ることは政治的な「権力」を示すこと。こうした思惑から、装飾性の高い手の込んだデザインが主流になり、着やすさやくつろぎは失われました。

しかし、1789年のフランス革命によって、ファッションにも大きな変革が訪れます。封建社会の崩壊によって、それまでの華美な装飾趣味を拒否するように、自然で飾らない衣装が好まれるようになっていきました。その代表例といえるのが、「サン・キュロット」と呼ばれる革命主義者たちが身にまとった、ゆったりした長ズボン。

サン・キュロットとは「貴族の着用していた膝丈のズボンをはいていない」という意味で、その名の通り、農民服をもとにした彼らのスボンスタイルは、自らの意思や思想を表現するものだったと同時に、ファッションの近代化の第一歩といえるものでした。

じつは、アメリカ政府を擬人化したキャラクター「アンクル・サム」が着ている服もこの頃の衣装に起源があるといわれていて、実用に適った服装がしだいに受け入れられていったことがうかがい知れます。

産業革命の登場


18世紀後半からイギリスで始まった産業革命により、ファッションも産業化していきます。ミシンや紡績機が発明され、工場での大量生産が可能になりました。新たな染料の発見や、レーヨンをはじめとする化学繊維の開発も進み、画一的で合理的な服装が急速に普及。上流階級の人々が独占していた流行ファッションは大衆にも広まり、既製服を買うという風習が一般化しました。

そして、第一次世界大戦によって女性の社会進出が進むと、シルエットにも変化が生まれていきます。コルセットからウエストを解放された女性服は、スカートの丈がだんだん短くなり、本格的な近代化へと歩み出します。大戦後、急速な通信の発展や交通機関の発達などによって、いわゆる「洋服」はスタンダードな日常着として世界中に広まりました。

デザインブランドの革命


19世紀末頃から20世紀に入ると、多くのブランドが登場。流通の変化やジャーナリズムの進展によって、スタイルの流行が生まれる「モード」の時代に突入します。モードとは、フランス語で「流行」の意味。今日のファッションを語る上で欠かせない、多くのデザイナーが活躍しました。その中の一人で、革命児ともいえるのがココ・シャネルです。

彼女は初めて婦人服にウール・ジャージー生地を取り入れたほか、ツイードやピケといった実用的な布地をスーツに使用し、着やすさとファッション性を両立させる革新的なスタイルを提案。また、フォーマル、ビジネス、パーティと多様なシーンで着こなせる黒一色のドレスを発表するなど、女性服の標準的なスタイルを確立し、現代のファッションに多大な影響をもたらしました。

第二次世界大戦後間もない1947年には、クリスチャン・ディオールが発表した「ニュー・ルック」が世界的なセンセーションを巻き起こします。ドロップショルダーや “蜂の腰”のように細いウエスト、長いフレアーなスカートが特徴で、シンプルで有機的な曲線のシルエットは、平和のシンボルともいえるものでした。

20世紀半ばを過ぎると、既製服産業が台頭し、洋服はさまざまな人々が自由に楽しめるものとして消費社会の一部になりました。デザイナーたちはオリジナリティを強く打ち出すようになり、ファッションのボーダレス化・多様化が進んでいきます。日本人デザイナーも世界の舞台へ続々進出。

なかでも1980年代、川久保玲の「コム・デ・ギャルソン」と山本耀司の「ヨウジヤマモト」はファッションシーンを驚愕させました。彼らは当時タブーとされていた黒を前面に押し出し、アシンメトリーやムラ染め、ダボダボのスタイルとフラットシューズの組み合わせなど、それまでのヨーロッパの美的価値観を覆すような服を発表したのです。

“黒の衝撃”、あるいは“東からの衝撃”と呼ばれる斬新で大胆な服の数々は、西洋的・東洋的な枠組みだけでなく、男女の枠組みも超えて、衣服を多様なシルエットを楽しむものへと変革させました。

ファストファッションの台頭


世界情勢が変化し、グローバル化が加速した1990年代からは、ファッション企業が買収や合併などによって規模を拡大していきます。低賃金で労働力を確保できる東欧やアジアに生産拠点を移し、低コストの生産体制を築く動きも活発化しました。人々は現実性のある服を求めるようになり、ニーズに応えるマーケット・イン型の服づくりが進みました。

そして2000年代、世界にファストファッションの波が押し寄せます。ファストファッションとは、流行を採り入れた低価格に抑えた服を大量生産し、短いサイクルで販売するブランドや業態のこと。独自のサプライチェーン(SPA)を持ち、大量生産によってコストを大幅に削減できるのが最大の特徴です。企画から流通までのスピードが速く、常に新しい服が手に入ることはもちろん、価格が手頃なことから、流行に敏感な若者を中心に支持されています。

海外ブランドではアメリカの「GAP」、スウェーデンの「H&M」、スペインの「ZARA」などが代表的で、日本のブランドでは「UNIQLO」や「GU」、「しまむら」などが売り上げを伸ばしています。ファストファッションの台頭によって、常に“旬”の服が安く手に入るようになったのはうれしい反面、衣料品に対する価値観は変わり、「服は1シーズン着たら入れ替えるもの」という感覚が広まったことも事実。今日の暮らしには、“着捨てる”消費文化が根づきつつあるのではないでしょうか。

ファッション業界の課題


ファストファッションがもたらしたのは、価値観の変化だけではありません。自由に選び、自分らしさを表現できる楽しみを追求できる一方、見過ごせないほど大きな問題になってきていること―それは、地球環境への影響です。

衣服は、原料調達から製造、輸送、廃棄に至るまで、大量の水を消費し、CO2を排出しています。そのため、ファッション産業は今や石油産業に次いで世界で2番目の環境汚染要因といわれています。その主な原因は何といっても、大量生産と大量廃棄の目まぐるしいサイクル。

ファストファッションの定着によって、気軽に手に入れられる服は、気軽に捨てられるものにもなってしまいました。2020年には、国内の家庭や企業から約80万トンの衣料が手放されました。そこには、まだ数回しか着られていない服も、売れ残った在庫商品も含まれています。再利用やリサイクルが進んでいるとはいえず、残りの多くが廃棄・焼却されています。国内のごみの最終処分場はあと20年でいっぱいになると推計されていて、私たちは捨てる場所を失いつつもあるのです。

生地となる化学繊維の大量使用も環境への負荷を大きくしています。世界の繊維製品の中でいちばん使われている素材は化学繊維で、全体の約72%(2017年)。ファッションの自由度や機能性を上げてくれる素材として欠かせなくなっていますが、プラスチック燃料を原料とする繊維は、石油や水などの限りある天然資源をたくさん利用し、多量のCO2を排出してつくられるもの。

また、ポリエステルやナイロン、アクリルなどの合成繊維は、分解されずに自然環境の中に残ってしまうという問題もあります。ここ数年、よく耳にするようになった「マイクロプラスチック」がまさにそれ。合成繊維の衣服は、洗濯するたびに超微細なプラスチック粒子が水の中に溶け出し、自然界へと運ばれていきます。

この目に見えないプラスチックは、農業用水や土を介して農作物の一部に含まれたり、流れ着いた海で魚などの体内に取り込まれたりして食物連鎖に入っていき、めぐりめぐって私たちの体内へ……。そうして、海洋汚染だけでなく、生態系への悪影響、さらには大気汚染にもつながっていくのです。

このように見てみると、現在のファッション産業はまさに、環境負荷の上に成り立っているといわざるを得ません。衣類の再利用・リサイクルへの取り組みや、地球環境に配慮した代替繊維の開発も行われていますが、それでも到底追いつけないほどのスピードで「買う」と「捨てる」が繰り返されているのが現状です。

何気なく着ているその1枚のシャツが、環境へのダメージを大きくしているかもしれない。さまざまな環境問題が叫ばれる今、この衣習慣が続けば、世界はどんな姿になってしまうのでしょうか。国や企業レベルだけでなく、ファッションの自由を享受する個人も含めて、世界全体で真剣に取り組まなければならなくなっています。

防護、記号、政治的権力、思想、平和、そして自分らしさを表現するものへ―。長い歴史の中で欠かさず行われてきた「着る」は、人々の身体を時に彩り、時に縛りながら、意味を変え、大きな文化と産業を形作ってきました。そして今、私たちはあふれるほどある衣服の中から、自由に快適におしゃれを楽しむことができます。

だからこそ、「何を選び、何を着るのか」が問われているのではないでしょうか。止まらない“着捨て”のサイクルに振り回されるのではなく、一度立ち止まって、「着る」を考えてみる必要があるのかもしれません。

▼参考情報
本記事は有限会社ケイエイティが展開するサスティナブル岡山デニムブランドkentinaのコンセプトをお伝えするために執筆した記事となります。
▼参考文献
『世界服飾史のすべてがわかる本』能澤慧子監修(ナツメ社)
『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』ブランシュ・ペイン著/古賀敬子訳(八坂書房)
『ファッションの歴史』(新訂第3版)千村典生著(平凡社)
ナショナル・ジオ・グラフィック「先史人類が着た衣服、服装の期限を探る」(2013/9/12)
日本化学繊維協会「内外の化学繊維生産動向―2017年―」
国民生活センター「わが家のごみはSDGsとつながっている!」第5回 衣料廃棄物について考える(No.104/2021年4月号)
時事通信「ファッションの環境負荷減らせ 廃棄、CO2ゼロに―官民の取り組み―」(2021/5/3)

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